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学ぼうとしない限り、学べない|相手に「正対」する人材育成 Vol.3

公開日:2015/11/18 更新日:2020/05/06

研修の最前線で活躍する講師へのインタビューを通じて、人材育成について考えるシリーズ。

階層別マネジメント、プロジェクトマネジメント、技術部門のリーダー育成等のテーマで活躍する関根利和講師が、技術部門にとっての”組織マネジメントの重要性”と”人材育成の意味”について語ります。

「人材育成」が経営に与えるインパクト

―研修でお会いする技術系部門の受講者で、“人材の育成が自分の役割だ”と強く意識している方は、数字を求められる部分と、1人ひとりのメンバーの育成を大事にしていきたい気持ちがある中で、自分1人でその難しさを抱え込んでいるように感じました。

(関根)
歯車2本当はこんな感じではないでしょうか。 「人材育成」の歯車があり、別に「顧客」を動かす歯車があります。
さらに、最終的に「財務」を回す歯車もあります。

今まではCSに力を入れて「顧客」の歯車に焦点を当てたら、「財務」が良くなり、それに合わせて「人材育成」も進みますという感じでした。
でも、あえて「人材育成」の歯車こそ最初に動かせというべきだと私は思うのです。

「財務」から着手するのは株主資本主義的な発想で、アメリカ的です。 後は強制的にキャッチアップしてこいみたいな感じです。スピードはありますが破壊も伴うでしょう。

他方、人材輩出企業が、人材が出て行っても永く業績がいいのは、人を育てることに徹しているからなのではないでしょうか。長続きする財務力が備わると思います。

小ぶりですぐ回る「財務」の歯車と比べ、「人材育成」の歯車はとても大きく、なかなか回転しません。力も要ります。それでも 「人材育成」にこそ注力して、業績につなげる、と決意しなければならない時が来ているのではないですか。これは経営者の決意の問題です。

先ほど上司が部下を思いやって苦しい、という話がありましたが、部下が成長するのは、恐らく難題を課されて手助けされなかった時だと思います。

それで修羅場になったのに、誰も助けてくれず、もがいた末に乗り切った時、自分でも「力がついた」と思うはずです。本当に優れた上司は、知っていて手を出さないのです。
部下からしたら、気づくのはきっと後のことでしょう。 気づいた時に上司はもういません。
悲しい話ですが、人を育てるのが上手な上司は、いるかいないか分からないようなものなのです。親のありがたみが、親がいるうちは分からないのと同じですよ。

育成する人の理想の姿は「応援団」

―育成する側は、一時的には嫌われることもある役割とも思えます。

(関根)
育成する人は、うっとうしいと思われたり、時には憎まれるかもしれません。
私は応援という言葉が好きです。応援団というのは、外野で煩わしく叫んでいる奴ですが、これを悪くとってはいけません。
本当に優れた応援は外野で「頑張れ」といっている奴が、自分自身も頑張っている時だと思います。

余談ですが、重松清さんの「あすなろ三三七拍子」という本があります。
内容は応援団のことを書いたものです。その中にいくつも名言があるのです。
「応援団ってバカバカしいですよね。腕立て伏せしてうさぎ跳びして意味もない練習をずぅっとして。スポーツもしないし」という質問に対し、「いいんだ。俺たちは頑張っている人たちに『頑張れ』という不遜な奴らなんだ。『そういうお前は頑張ったことがあるのか』と問われるから、俺たちは無意味なことを頑張っているんだ」という一節があります。

なるほどそれが応援かと思い、私は感動しました。 育成する、見守るとはそれに近いことではないでしょうか。

本当は自分が練習して野球部に入り、強くなった方がいいのに、野球部が勝ったら一緒に喜び、負けたら「元気を出せ」という。これはすごくないですか。

―精神的にすごいことですし、役割として演じてできることですよね。

(関根)
だから、たくさん腕立て伏せをして練習するという部分に「なるほど」と感じました。
任せるということは、自分がバッターボックスに行かないことなのです。

私にはできるが、自分は行かないで他人に任せ絶えずエールを送る」ということが、腹落ちできていない人は、マネジャーにもいますね。そういう人はすぐに限界が見えてきます。

「人の育成に特化する」とはどういうことなのか、何をどういう風に任せるのかを、教える側、伝える側もきちんと整理しておかなければなりません。

「自分から学ぼうとしない限り、学べない」

―研修受講者の方に向けて、毎回特に意識されていることはどんなことでしょうか。

(関根)
基本的には“体験から自分で学んでもらう”のだと説明しています。
ですから、「自分から学ぼうとしない限り、学べませんよ」といっています。

研修の冒頭に「熱いも冷たいも自分で分かるようにならないとだめだ」と口を酸っぱくして説明しています。今日学ばない人は今日来た意味もないでしょう。

だって学びに来ている人が学ばなかったら、今日という日を捨てたことになりますよ
極論かもしれませんが、生きたことにもなっていませんよ。

私はプロとして、受講者の方の人生にとって大切であろうと思うことを、自分という人間を通して語っているつもりです。「何も教えてもらえなかった」といわれたら、私は「あなたの問題だ」といいます。
自分が成長する気があるかどうかが肝心です。

―育成する人の役割の重さについてお話してきましたが、育成される側のスタンス作りも大事ですね。

(関根)
さらに突き詰めていくと、本人が、仕事や人生で成長することを、自分の中でどう位置づけていくかが問題になってきます。成長は必要ないと考える人は、学ばなくていいと思います。

リベラルアーツを勉強したらすぐに分かると思いますが、何のために生きているのかということは、その人が自分の人生をどうするつもりなのかということを、逆の方向から質問していることになります。

「今日という日をどう過ごしますか」、「この学習の場を与えられたことをあなたはどう捉えますか」というと、「私は望んでここに来たわけではない」という答えが返ってきたとしましょう。

そんな時、私ならこう返します。
「望もうが望むまいが、学習の場を与えられた時に、どう振る舞うかを考えるのはその人自身であり、講師ではありません。だから、あなたの人生を考えるのは私ではないよ」といいますね。

自分の人生のオーナーが自分だと思っていればこそ、自分を成長させる感覚が持てるのかなと思っています。
せっかくセミナーに来たのだから、その点に気づいてほしいとも思います。
講師の立場にいる私からすると、受講者にはそうなってほしいのです。

~つづく(3/5)~

◆関根 利和(せきね としかず)プロフィール◆

1954年生まれ。1977年埼玉大学理工学部 卒業
外資系自動車部品メーカー勤務を経て現職。数多くの企業において、人材育成、目標管理制度、業務分析、プロジェクト支援、ネットワークの構築・運用管理等のコンサルティングを手掛ける。特に人材育成では、経営幹部から管理職、中堅層まで幅広く対象としている。豊かな経験を踏まえた実践的で明快な指導には定評がある。”難しい話をわかりやすく”がモットー。